アカデミックな分析
恐怖症とパニック障害は違う
分析と解剖
皆さんこんにちは
ネットサーフィンをしていたら
久しぶりにアドラー心理学の記事を見かけました
有名ドコロなのかなって思います
一般的に、広場に行くことが怖いって
想像つきそうですね
閉所恐怖症
暗闇恐怖症
高所恐怖症
ああ、そういうところが怖いんだなって
それでいいと思うんですけどね
アドラーは広場が怖い人とは
「承認欲求が強い人」
と言っています(…うろ覚え)
たしか、幼少期にチヤホヤされて育った子供は
自分はOK、他人はNOT OK
の立ち位置にいて
自分がOKになれない場所を嫌う
広場に行くと
自分はその他大勢の中のONEであり
「自分はOK」をもらえない
でも他人はNOT OKなので
引きこもってしまったり
外出を避けるようになるが
家族にチヤホヤされることは
大好きなため
自分に注目を集めるために
過食や自傷
引きこもりやDVになる
と、アドラーは
行動の原因を過去に求める
過去は変えられない未来は変えられる
だから、いま、未来が大切なんだと
やっぱりフロイト的分析してるなって感じます
いや、分析は好きなんですけどね
どうしても分析系は
個人心理学になってしまう
なのにアドラーは
すべての問題は
人間関係にあるともいう(いや、たしかね)
いま、教科書も参考書もない状態なのでご容赦を
やっぱりフロイト的だし
フロイトの功績はすごいと思う
一般的にフロイトは性的なものが全てで古臭い
アドラーは新しくって勇気がもらえる
みたいな世間の誤解を感じるのですが
フロイトの手法でも
ユングの手法でも
アドラーの手法でも
困っている人が減ればいいんです
それに、分析的カウンセリングでよくなる方が
近年減ってきているわけではないです
フロイトは無意識の発明者ですからね
心理学というより
心を知る学問って感じですね
分析は司法解剖みたいなもので
好きでも生身の人にやっちゃダメです
カウンセリングの場や
目の前に困っている人がいる時は
分析していることを
わからないようにやらなきゃ
分析的カウンセリングもありますが
厳格な感じがするので
合いそうなクライエントに使うことがありますが
自分のキャラじゃないので
いつまでもは続けられません
カウンセラーも自分に嘘ついてちゃ
相手にわかっちゃいますからね
アカデミックなモノ
自分が一番お世話になってます
分析が司法解剖なら
交流分析は手術みたいなもの
もちろん、個人心理が関係しますし
相手の反応はコチラが予想もつかない
「これを言ったらどうなるものか?」
「どう反応してくるかな?」
「転位来たー、どうしよう」
みたいなんで、先手も後手もない
交流分析はヨーロッパっぽいんです
とくにユングとか
言語や事物に置き換えやすく
販売もしやすい(モノや教科書、システムやスキル)
逆に悪いところはアカデミックじゃないものは受け入れない
アメリカのいうアカデミックなものは曖昧さがないってことかな
そして色んな感情や事象を割り切ろうとする
曖昧なものに名前をつけて
エレメントにしようとする
雑多な曖昧さを良しとせず
すべて説明可能なエレメントにする
NLPにしたって
「販売目的なんじゃないの?」
って感じが払拭できないです
3人の天才の手法をエレメントにして
説明可能にし
販売する
だからかな
クライエントや患者さん
他にも一般的なお仕事に就かれている方の中にも
まで終わらせている方の多いこと
で、面接中に大泣きされるって
一度や二度じゃないですからね
少しは自己一致してから学びなさいと
スキルばっかり興味があって
本や講座、動画でいくら勉強しても
マインドがなきゃ
それは使い物にならない
海やプールに行くつもりがないのに
海パンとゴーグルを買っただけ
「泳ぎ方ってこうかなぁ」って動画を見ただけ
マインドから育ててほしいです
今日は愚痴っぽくなりましたが
シリーズ的に書こうと思っていたら
なんとなくアドラー心理学を思い出したので。。。
私のすきな交流分析の話にもならなかったけど
資格とかアカデミックさとか
説明可能なエレメントでは
人間の複雑怪奇な心境は
説明不可能だと思おったので
勉強やスキルも大切だけど
恋愛スキルとか
昔からさんざん言われているけど
意味をもたせる行動をしなけりゃ
意味は出てこないと思うよ
少しでもお話ししてみたいなって方は
HPから問い合わせください
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