自由になりたい

生き方は自分で決めていいんだ

刺激を欲しがるニンゲン

内発的に生まれる欲求

 

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きっかけ

 

 久しぶりになってしまった

 

 理由はわかっているんです

 昼間の仕事が。。。

 

 忙しいッていう字

 心を亡くすッて書く

 

 忘れるッていう字

 亡くした心ッて書く

 

 どっちもキライ

 

 でも、仕事ってホンキでやらないと面白くないんだよね

 

 作業興奮でも書きましたが

 面白くしたければ、ホンキで作業に打ち込む

 そうすると心をなくすくらい

 面白くなって没頭しちゃう

 

 で、どこかで我に帰ることができれば

 まぁ、客観的に見れてるかな

 

 さて、内発的動機について

 作業が目的になっている

 これは「〇〇やろう!」ってキッカケがあるから

 

 じゃあ、キッカケって何なん?

 

 なんでそうしようと思ったの?

 

 本能的な場合や

 意識にのぼらない場合もあります

 

 反射とか

 

 くしゃみをする時ゼッタイ目を閉じるし

 知らないヒトが急に顔のまえに手を出してきたら

 やっぱり目を閉じる

 

 これは目を閉じたいからじゃなくて

 反射的にしゃあないもの

 

 たとえば右利きのヒトは

 丁字路で曲がるときに指示がなければ

 左に曲がる人が多い

 

 無意識で右足で蹴り出す

 と左に曲がりやすいから

 

 意識すれば変えることができるけど

 それを習慣にするのは

 

 面倒だったり本能的になっていると

 変える必要がなかったりする

 

 変わることを嫌うヒトも多いから

 わかっていても変えないヒトが多い

 それを手玉に取ってるのが

 マジックだったりします

 

 右手にコインを持っていて

 上に投げるタイミングで

 顔も一緒に上を見ると

 「普通ならコインを投げたよね」

 っていう当然と思っている常識に

 ミスディレクションを与えることができる

 

 本能で変えられないとき

 習慣化していて変える必要がない時

 クセで気づかない状態でそうしてる時

 意識にのぼらせようとしない時

 

 それは自分でキッカケづくりする必要がないので

 動機にならない

 

 「そうしたい」と思えば

 意識できて変化を与えることができる

 

 では、キッカケはどう生まれるか

  

 

感性が動機になる

 

 もし、音も匂いも光も味もない場所にいたとする

 

 外の世界から切り離された空間

 

 味もない

 匂いもない

 光もない

 音もない

 

 頼りになるのは

 自分の思考

 立っているのか

 座っているのか

 寝ているのか 

 何かが足や背中に触れている感触のみ

 

 そうするとニンゲンは不安になって

 触れている何かにすがろうとする

 

 そしてなんでもいいから刺激を欲しくなる

 

 トム・ハンクスの映画で無人島に漂流したハナシがありますが

 不安で不快で怖くて

 

 誰でもいい

 何でもいい

 なにか刺激をちょうだい!

 

 自分で刺激をなくそうとした場合はまだ良い

 でも、もし誰かに強制的にそうされたら。。。

 

 雪山で遭難したり

 いきなり誘拐されたら。。。

 

 刺激を欲するために

 幻聴や妄想にすがろうとするニンゲンの心は

 想像がカンタンにできる

 

 強制的にベッドにくくりつけられ

 光も匂いも音も味もない場所に

 どれくらいの時間耐えられるか。。。

 その精神的なダメージは

 漫画で見るような

 「精神科のベッドで薬漬け」

 の状態で、いかに自分の感性をコントロールできるだろう

 

 ちなみにカナダで行われた実験では

 36時間程度で幻聴や幻覚が現れたという

 

 ニンゲンは生きている以上

 ダイナミックに刺激をもとめる

 それは感性があるからであり

 自分なりの感覚を確かめたいという

 自己承認欲求を自分自身で充たすためでもある

 

 

認知的機能にたよった動機

 

 ちょっと難しい。。。

 

 自分の認知の不協和を解消するための動機。。。

 

 「欲しいゲーム機を買う」という動機があったとします

 

 まず「○ジマ」という電気屋さんにいくと¥32,900

 「広告の時は¥29,800だったから、もっと安く欲しいなぁ」

 

 つぎに「○マダ」という電気屋さんにいくと¥31,900

 「もう少し安いと思うんだけどなぁ」

 

 つぎに「○デオン」にいくと¥33,900

 「あれ、広告以外じゃ3万円はきらないのかな」

 

 最後の比較とおもって「○ーズでんき」にいくと

 なんと広告の品に欲しいゲーム機があった

 金額は¥29,800!

 「やっぱり広告なら3万円切るんじゃん。よし、買おう!」

 

 ここまでは当然のカンジです

 「欲しい」という動機と

 「思っていた金額」という認知がマッチしたから

 

 次の日、新宿の街をデートしていると

 「安い」と有名な電気屋さんの前を通ります

 

 さて、欲しくて納得して手に入れたゲーム機の金額を

 見に行くでしょうか?

 

 見に行ったとしても、行かなくても

 認知の不協和が生まれています

 

 どちらの行動をとってもそれは

 「認知的動機」に動かされた結果です

 

 ボクなら見に行きません

 だって¥25,800とかで売ってたら

 くやしいって気持ちを手にするだけだもの

 

 たとえばそこで¥31,900で売っていたら?

 自分のマンゾク感を手に入れただけです

 

 手に入れていなくでも

 認知的不協和

 「思っていた金額」と現実の差の答え合わせ

 ができただけです

 

 自分のおかれた環境で

 正か負かを決めたいという

 ダイナミックな力学運動のみです

 

 

 次回はやる気と感情の最後になります

 

 ついに認められたいという欲求についてです 

 

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